ローカルキャリア研究所
NPO 法人ハナラボ
徳光 みく
中澤 ちひろ さん
中澤 ちひろ さんの経歴
高校時代
おばの入院とマザーテレサの本をきっかけに、看護師になることを志す。
国際ボランティアサークルの活動に参加し、カンボジアの孤児院で衛生指導をする。
新卒で勤めていた地元の病院を離れ、オーストラリアで地域医療の重要性を学ぶ。
帰国し、広島県庄原市の病院で地域医療研修を受ける。
NPO 法人おっちラボ代表(当時)の矢田明子と出会う。
おっちラボで訪問看護事業を立ち上げ、株式会社 Community Care として独立。
自分の存在を否定するような発言に衝撃
母親も看護師という中澤さん。親と同じ職業に抵抗があり、子どもの頃は「看護師にはなるまい」と思っていたそう。しかし中学 3 年生のときに入院中のおばさんのお見舞いに行ったところ、思いもよらない出来事が起こる。喜んでくれると思っていたのに、「迷惑かけてごめんね」と謝られた。まるで自分自身の存在を否定するかのような発言にショックを受けた。
高校時代にマザーテレサの本に出会い、「自分がいらない存在であることが現代の病である」という内容に触れた。おばさんのように苦しんでいる人に何かしてあげたいという気持ちが強くなり、自分も看護師になろうと決意した。
大学では国際ボランティアサークルに所属し、カンボジアの孤児院で衛生指導を行なった。親がいない中で育ってきた子ども達に歯磨きを教えるなど、日常の場での健康指導の重要性を感じた。「生きるってこういうことなのだと、カンボジアの子どもから教わった」 と中澤さんは語る。「カンボジアの子ども達は、自分たちが持っていないものを持っている。 人とのつながりとか家族とか、人間らしい暮らしってどういうことなんだろうって考えさせられた」。
健康や幸せは病院の外にある
大学卒業後は、地元の病院から奨学金を借りていたこともあり、地元の病院で看護師として働いた。知識や技術を身につけられるのは大きい病院という傾向があり、大学の同級生は大きい病院へ行くことが多かった。当初は悔しい気持ちもあったそうだが、逆に小さい病院の方が、疾患を幅広く見る力など、実践力が高まると思い、納得して働いていた。
3年半勤めた後、オーストラリアでの1年間の研修に参加した。オーストラリアはナーシングホームがたくさんあり、家族が看るよりも施設に入ってハッピーに過ごすのが当たり前。日本では、どんな風にケアをしていくのが幸せなのか考えるようになった。病棟では患者さんがいるときしか関われないが、患者さんの幸せや健康は病院の外にあるということを学んだ。中澤さんは終末期の苦しみや生活の中での看護を学び、広い視野で考えられるようになった。そして「もっと日本のことを知りたい、日本のケアのあり方を勉強していきたい」と思うようになったそうだ。
自分がやりたいこととマッチ!仕組みにも興味があった
帰国後、中澤さんは NPO 法人 GLOW の研修に参加した。また病院に勤めても同じだろうなと感じ、地域医療や国際医療を働きながら学びたいと思ったそうだ。現場で訪問看護・在宅医療・巡回診療も行なうようになり、「幅広い視野で人々の健康を観られたのは心の整理になった。どういうところをやりたいのか明確になってきた」と語る。「健康は社会生活、育った環境、働く場所など、いろいろなことが影響している。医療の現場だけではなく、地域まるごと健康な社会にしていく必要がある」ということを学んだ。
次は自分自身で地に足をつけて、学んだことを活かしていきたいなと思った時期に、雲南市を訪れた。NPO 法人おっちラボ代表の矢田さんが、雲南市を案内してくれ、来年から訪問看護を立ち上げようという話をされた。中山間地域は難しい地域で民間は手を出しにくいのだが、そこにチャレンジをしている。自分のやりたいことにマッチしていて、一緒にやるメンバーも楽しそう。地元に帰ろうとも思っていたが、そのワクワクを選んだ。
最初は NPO 法人おっちラボのインターンとして、同じ思いを持っている看護師 3 人で訪問看護事業を立ち上げた。3 人とも雲南市が地元ではなく、うまくいくか不安だった。訪問看護をしている看護師は平均年齢が 47 歳だったのに対し、自分達は 28 歳。経験が浅いのに訪問看護ができるのか、周囲からも心配されていた。それでも市立病院、開業医の先生、行政の助けも受け、徐々に信頼されて形にしていった。2 年目には、株式会社 Community Care として独立。空き家を使って、住民さんと地域の拠点を作り、その 2 階を事務所として使わせてもらっている。地域の人が「元気にやってるか?」と覗きに来たり、街中でも声をかけてくれようになったりと、今では地域に根付いて仕事をしている。
現在の仕事を始めてから、「自分の働き方が大きく変わった」と語る。経営も兼ねているので経営者としての責任が増え、みんなの声をしっかり経営に反映させていくようになった。雲南市に来てから、色々な業界の方と地域で活動するようになり、一つのことに捉われないようになったそうだ。
「楽しくないと続かないんですよね。健康も同じで、健康のために◯◯しようというのは 続きません。楽しくやっていたらいつの間にか健康になるような、豊かな暮らしはこういうこと、ということを体現しながらやっていきたいですね」 。
これまでの仕事の中で、最も力をつけた経験は、雲南市でのチャレンジだという。「やっていいよ」と言われて、やらせてもらえた経験ができたこと。本人も訪問看護の管理者になり、経営をするなんて思っていなかったそうだ。
全体に関われるということは自分の心にもヘルシー
「ローカルという場所で働けるのは自分にとってメリット」と中澤さんは語る。働きたい働き方ができて、自然の豊かさや人とのつながりを感じられる。家族との時間、友達との時間が持てる。人となりを支える仕事をしたかったので、自分に合っているそうだ。一方で都会も好きで、「広い視野を持てて・広げてくれる存在」だと言う。ずっとローカルにいてそこしか見ていないと、固定化されてしまう。たまに都会と繋がりがある状態がすごく支えになっており、雲南市では色々な地域のことを知る機会をたくさんもらえるそう。ローカルにいながらもいろいろな人と出会えるのは大きい。
また、ローカルではジェネラルな力が身に付くと、中澤さんは語る。人が少ない分、全過程に関われる。機械的にここの部分だけ関わるのではなく、全体に関わるというのは、自分の心にもヘルシーで、生きる力・大事な力が身に付く。「一人で何でもやらなくてはいけない」と感じるのではなく、人が少ないからこそ「一人で何でもやらせてもらえる」と捉えて いるようだ。
レポーターより
自分のやりたいこと、やるべきことを見つけ、積極的に新しい世界へ飛び出す姿勢が印象的だった。行動しているからこそ、出会うべき人や仕事に出会えるのだと感じた。どこで誰と出会うかで、人生は大きく変わる。そのような出会いが増えれば、人生はもっと面白くなるのではないだろうか。
私の現在の仕事は、学生時代には想像もつかなかった分野で、ほんのちょっとした出会いから始まっている。インタビューを通して、自分自身のキャリアを振り返るきっかけにもなった。
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