ローカルキャリア研究所

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その場で自分が最大限に力を発揮できることをやっていくこと
リサーチ

株式会社御祓川

岡本 竜太

編集者
編集者



島根県雲南市
小俣 健三郎 さん

NPO法人おっちラボ 事務局長・コーディネーター








小俣 健三郎 さんの経歴





転機学生時代


一橋大学法学部入学。
アイセック参加・イギリス留学を経て、前向きに法律と向き合うようになり、弁護士を目指すようになる。






2010年


弁護士になる。東京で勤務。






2011~
2013年


「ちゃんとできるのは当たり前、できないのはありえない」という、マイナスかゼロかがベースにある弁護士の世界に対して、自分はどんな人になりたいのだろうか?と立ち止まって考えるようになる。






転機2014年


おっちラボ代表である矢田明子との出会い。
衝撃を受けて、弁護士を辞めて共に働くことを決意する。






2015年


おっちラボへ入社。







キャリアを積むとは、その場その場で自分が最大限に力を発揮できることをやっていくこと。その場その場で、次の世界を見ることができる(自分が自分らしくあれる)状態をつくることだと思う。






島根県雲南市が2011年に実施した「幸雲南塾〜地域の未来を創る人の育成塾~」という事業。その卒業生たちが中心となり2013年に立ち上げた団体が、NPO法人おっちラボだ。東京から雲南市へとやって来た小俣さんが、おっちラボの事務局長として働き始めてもうすぐ3年が経つ。


彼は、地域への支援活動と組織内の改善、大きく分けて2つの役割を担っている。メインとなるのは幸雲南塾の運営。プロジェクトの全体設計・運営から、塾生一人ひとりのメンタリングまでと幅広く。ただし、塾というのはあくまでも枠組みであり、活動を通じて「雲南の若者のチャレンジを応援する」ことがおっちラボが掲げるミッションでもある。そのため、過去の塾生と継続的に会ってサポートをしたり、塾生ではない地域住民とも積極的な交流機会を作ったり、市外の人材を雲南へ連れてきて新しい出会いの場を生み出したりと、ジャンルを問わず様々なプレイヤー(場合によってはまだプレイヤーでは無い人たちとも)たちと常に関わりを持ちながら仕事を進めている。


一方で、組織内での細かな立ち振る舞いも彼の重要な役割と言える。これまでのおっちラボは、カリスマ性を持つ代表がその強烈なキャラクターを駆使して組織を、地域を育ててきた。でも、これからの"自立した組織運営"を考慮したときには、暗黙知である彼女の言葉・行動・スキルを"言語化"して組織内で共有していくべきだという共通認識がおっちラボ内では持たれている。その”言語化→翻訳”の役目を担うのが、事務局長である小俣さんなのだ。






雲南市で働くきっかけ



一橋大学に入学し、イギリスに留学。卒業後は弁護士として東京で働く。しかし、「ちゃんとできるのは当たり前で、ちゃんとできないのはありえない」という、マイナスかゼロか、がベースにある弁護士の世界で生きることに苦しんでいた。一生懸命がんばってはいたが、周囲の人を見ながら「あんな存在になりたい」と思うことがどうしてもできなかった。


自分はどんな人になりたいのだろうか?立ち止まって考えてみると、大学時代に関わっていた「アイセック」やロースクール時代に関わっていた国連系ボランティアのことが頭に浮かんだ。そこで出会った人たちはみな、「社会」に影響を与ようと溌剌と活動をしていたことを思い出した。そんな理想と、弁護士である自分とのギャップに悶々としていたとき、大学時代の友人に誘われて島根県雲南市へ行く機会があった。そこで出会ったのが、NPO法人おっちラボの現代表である矢田明子さんだった。矢田さんの存在と、社会へ与える活動内容に衝撃を受け、弁護士を辞めて、地方で働くことを決意する。






弁護士業を雲南でやらない理由



それも、弁護士ではなく、NPO法人の事務局長という仕事だ。なぜ弁護士として働こうと思わなかったのか。
「自分が書類と向き合っている間に物事が前に進んでいることが悲しくて、弁護士の仕事を単純に楽しめない自分がいた。だから新しい場所であえてやる必要性を感じていない。ただ、実はニーズを感じることも多いし、行政と共に新しい制度(条例等)をつくっていくことには関心がある。社会を動かす制度づくりに弁護士の知識、経験が生きるのであれば、それらを活用する機会を今後つくる可能性もある」と小俣さんは言う。


事業をしたい!想いを形に!という高い意識を持って活動している人が集まっている環境において、そこにいる市民が必要としているのは、がんばって!という応援だけではなく、より具体的な指摘や専門的な知識。だからこそ小俣さんは、相手が向き合うことを避けているポイントにも踏み込んでいきアドバイスすることを意識している。



小俣さんが本気で向き合えば向き合うほど、市民もそれに合わせて心を開いてくれる。そういう良い循環を経験しているから、踏み込んでいくことができる。「その通りですね。僕はいつも「遠慮と配慮は違う」という言葉を心に留めて、相手に踏み込んでいくことを意識しています。


ローカルコーディネーターという仕事を「あまり踏み込まず、少し距離を置いて壁打ちをしてくれる存在」であると考えていた頃もあった。幸雲南塾には最終発表会があって、プレゼンがすべてではないけど、そこで最高のプレゼンをすることは非常に重要で、塾生にとっての晴れ舞台。ある時期、塾生のプレゼンにどこまで踏み込んで指摘すべきか悩んでいたとき、代表の矢田に相談したら、「あんたは後悔しないの? 私だったら前日夜に相手の家に泊まってでも向き合って考えるけど」と言われたことがある。そして、勇気を持って踏み込んでみたら、こちらが本気なら踏み込んでも関係性は壊れないということがわかった。だからいまは踏み込むことができる」。







レポーターより



弁護士という肩書を背負っていた方が雲南へ移住して来たのには、環境をガラッと変えざるを得ない出来事があったのだろうか?とシャドウイング前は想像をしていた。実際はそんなことはなくて、小俣さんの思考のベースには高校、大学のとき出会ってきた人たちの影響が見受けられ、その人間関係が少しずつ今の環境へと導いていたことが分かった。

ローカルコーディネーターという、仕事内容が定義しにくい職業に変わり、初めての事も多く戸惑い、地域住民への向き合い方で深く悩んだ時期もあったそう。でも、その悩みも含めてポジティブに生きてこられた小俣さんのこの2年半が生まれたのは、その裏に10年近くの積み重ねがあったからではないかと思う。

世の中の移住系の取り組みは、今!ガラッと環境を変えよう!というものが多すぎるのかもしれない。それだけ切迫している、時間が無い地域が数多く存在するという意味でもあるが、個人個人のストーリーがないがしろにされている気がする。

小俣さんにも、仲の良い友人が今の自分のポジション(事務局長)に誘われたことがNPO法人おっちラボを知るきっかけだったり、大学院時代からの友人がNPO界隈で地位を築いている人物だったり、島根県雲南市へと繋がる幾つかの道があった。そういった道を提供し、新天地へ動く決意ができるまでのストーリーを紡げることが必要だと改めて感じた。そして、今関わらせてもらっているさまざまなプロジェクトに誇りを持つことができた。





この記事を書いた人

岡本 竜太 Ryuta Okamoto

株式会社御祓川

ひと育て課 コーディネーター(石川県七尾市)

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